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ハイ バー チュン、その後

ホーチミン市の生活
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ホーチミン市歴史博物館でこんな図を見つけました。

赤い炎の印が北部から中部まで点在していて、印に番号が書いてあります。

図の左下の凡例を見て意味がわかりました。 

図の左下の凡例

中国の侵略に対してベトナムの人々が蜂起をした場所の図でした。

赤い炎の印のある所が大きな蜂起の起こった場所です。

この印がある所は侵略軍が駐留した場所です。

図の左側に説明がありました。

ベトナムの人々の蜂起の説明

1番から18番まであり、それぞれの蜂起について簡単に説明してありました。

1番がハイ バー チュンで、そこには次のように書いてありました。

西暦40-43年、Me Linhのハイ バー チュンはGiao Chi, Cuu Chan, Nhat Nam, Hop Phoの人民を指導し、太守*To Dinhを追撃し、後漢の圧制を転覆し、王と称した。3年間の独立を確立した。

ホーチミン市歴史博物館の展示物より

* 太守(thai thu):中国漢時代に(漢の)統治下にあったベトナム三郡を統括した行政官

CJKI越日辞典

その後、2番の西暦157年から18番の938年まで大きな蜂起が続いたようです。

これらの写真は、博物館内の写真を撮りたいと頼んだところ、資料活用費として40,000ドンを払って撮影を許可されたものです。

ホーチミン市歴史博物館については次の記事があります。

ホーチミン市歴史博物館
歴史博物館には大きなレリーフがあります。

ハイ バー チュンについては次の記事があります。

ハイ バー チュン(Hai Ba Trung)これだけは知っておこう!
「ハイ バー チュン」は「二人の尊敬するチュンさん」という意味でした。
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